人生最高?の旅行を経験した話
はじめに
みなさまはじめまして。
情報システムな仕事をしている者です。
今回は夏の旅で「人生で二度もこんなことないだろう」と思うような経験をしたので、備忘録的な感じで書き綴っていきます。
長編なので気長に眺めていってください。
旅を思いついたいきさつ
TK氏がここに書いている通り、会社から決算賞与的な形で「一休.com」というサイトで使えるポイントを5万円分付与されるというイベントがありました。
とは言うものの、独り身にとっては5万円分なんか使いきれるのか?と使い道をずっと考えていました。
使い道を考えていたところ「自分の行った事のない所に行きたい」という願望が出てきて「北海道なら一周した時の宿代くらい出せるんじゃないか?」と思い立ち早速計画を始めました。
旅の計画
旅を計画する時に以下の点を考え計画しました。
- 食事のお金をケチらない(旅先でその土地のうまい物を食べないとか、何のために旅行をしているのか分からなくなるから)
- ホテルはそこそこの所にする(変なところに泊まると寝れずに翌日に響くため)
- なるべく色んな所を周るようにする
こういった形を念頭に置いて旅の計画を練りました。またせっかくなので夏休みも兼ねて9月2日~9月8日まで、一週間休みを取って満喫することにしました。
そんなこんなで計画を練っていたのですが、移動手段をどうしようかなと悩んでいたところ、手元に「青春18きっぷ」が残り2回分あったので、行きの途中まではローカル線で行くというトンでも計画を思いつきました。
ちなみに「青春18きっぷ」とは、JR全線のローカル線が1日乗り放題のチケットで、1枚のチケットで5回分使える仕組みになっています。
「青春18きっぷ」の話を始めたところで感づいた方もいると思うのですが、実は自分は電車に乗るのが好きで、学生時代に東京から長崎の佐世保までローカルで行った事もあります。今回ここで久しぶりにやってみようかと謎の気力が出てきて、以下のようになりました笑
- 最初の2日間でローカル線に乗って観光をしつつ、函館までを目指す
- 函館からは「北海道フリーパス」を使い、特急を乗り継いで北海道を一周する
- 最後は新函館北斗駅から新幹線「はやぶさ」に乗って、320km/hの日本最速のスピードを体感しながら帰る
今考えてみるとなかなかハードな移動だな、、、
ちなみに「北海道フリーパス」というのは、7日間北海道全線が乗り放題で、ローカルはもちろん、特急も自由席なら無限に乗ることができるトンでも切符です(指定席も6回までなら利用することができます)。こんなことやってるからJR北海道は、、、
1日目、2日目 赤羽~函館 ローカル線の旅
さあ、旅の始まりです。
最初は5:20赤羽発の宇都宮線始発で宇都宮まで行きます。その後は順調に東北線を乗り継いでいき、11:56に仙台に着くように向かいます。
仙台では2時間時間をとり、牛タンを食べに行きました。本当は友人のお知り合いがやっている「高也」というところに行きたかったのですが、臨時休業していたので「喜助 一番町本店」にお邪魔しました。
仙台を出たら1日目の宿泊地である秋田の大館まで向かいます。順調に乗り継いでいき、20:51に大館に到着しました。
ちなみに写真の通り大館は、忠犬ハチ公のふるさとでもあり、秋田犬が有名な土地でもあります。大館での宿は「ロイヤルホテル大館」。このホテルを選んだ理由は、「秋田犬がいる」という事で選びました。このホテル以外にも何件かの宿泊施設で秋田犬がいるそうです。さすがハチ公のふるさとですね。
2日目は大館から函館まで目指します。
大館から奥羽本線で青森まで向かい、津軽線で三厩まで向かいます。なぜ三厩かというと、そこにめちゃうまい鮪を食べさせてもらえる店があるからです。
一通り津軽半島の観光をした後、お待ちかね鮪で有名な「秀鮨」へ。
実は三厩も大間も同じ海で取れる鮪なので物は一緒だそうです。水揚げされる漁港が大間なのか三厩なのかで名前がつくそうです。三厩の鮪は銀座九兵衛でも取り扱ってるそうな。
ちなみにこの時、偶然にも鮪が水揚げされてお店に来るという奇跡的な事があったので、大将に写真を撮らせてもらいました!(大将ありがとうございます!)
鮪を十分に満喫したところで、三厩駅より町営バスで奥津軽いまべつ駅まで向かいます。そこから新幹線に乗って新函館北斗駅、さらに乗り換えて函館駅まで向かいます。
迫りくる脅威 台風21号
日付で気が付いた人もいるかと思うのですが、実はこの旅をしてる間、南から25年ぶりに非常に強い台風と言われていた「21号」が迫ってきていたのです。そう、あの関空を沈めたあいつです。上に載せた竜飛崎の写真を見てもらうと、全体的に雲が多く天気が悪そうなのがわかると思います。この時強風で雨が降ったり止んだりといったことが続いていました。
なんとか函館まで到着したのですが、函館は強風と霧雨でなかなかな状態になっていました。函館山も行ってみたのですがご覧の有様です。
しかし台風が来ているからと言って自分がうまいものを食べない理由にならないので、函館の街に繰り出し、うまいものを食べてきました。丁度台風が来ていてお客さんも少なかったのもあり、アワビ等が半額で提供してくれるという嬉しい事もあり、かなり満喫することができました。
さて函館で泊ったホテルは「函館国際ホテル」です。函館のホテルは朝食戦争で有名で、この函館国際ホテルも朝食には非常に力をいれているところです。その朝食を食べたい!という思いだけでこのホテルにしました。
3日目、4日目 函館~稚内 終わりのはじまり
さて、見出しの言葉の意味をなんとなく察している方もいるとは思いますが、とりあえず”楽しい”旅の思い出を綴っていきます笑
朝は函館国際ホテルの朝食から。とにかくバイキングの品ぞろえがすさまじいです。さらに2~3日前にリニューアルオープンしたばっかりだというのを知り、中はものすごく綺麗でした。
3日目は函館駅を出てスーパー北斗で札幌駅まで向かいます。その後、小樽に寄り道してから札幌駅に戻り、ライラックで旭川駅まで向かいます。
台風はまだ過ぎ去っていない事もあり不安だったのですが、案外天気がよくてびっくりしました。まさに嵐の前の静けさ状態です。
札幌駅についたら、ローカル線で小樽駅まで向かいます。小樽までは30分くらいなので意外と遠くはありません。
小樽をぶらついたら、札幌駅まで戻り、そこから特急ライラックに乗り旭川駅まで向かいます。旭川駅について驚いたのは駅がすごい綺麗な事です。正直、札幌駅よりきれいだなと感じました。旭川駅から東西南北それぞれに向かうので、駅も大きく作ってあるんですね。
さて、お待ちかねの美味しい物ですが、旭川に行ったら成吉思汗(ジンギスカン)を食べようと思っていたので、有名店の「大黒屋」に行きました。
この日の宿は「ドーミーイン旭川」。ドーミーインは初めて泊ったんですが、なかなか綺麗で、お風呂も天然温泉だったこともあり、またリピートしたくなるビジネスホテルでした。
ここまでで台風もまだ上陸しておらず、平和な一日を送ることが出来ました。
さて4日目ですが、旭川から北海道最北端の地「稚内」を目指します。台風も明け方に去り、外は快晴で期待できそうです!
まずは旭川と言えば「旭山動物園」。動物園が結構好きなので割と憧れており、今回来ることが出来て最高の気分でした。
余談ですが、今回の北海道一週旅行で、しかも旭山動物園に行くってんで、思い切って望遠レンズを買いました。
こいつをつけて旭山動物園を駆け巡ってたら、それをみていた子供に指さされました()
大人は見ちゃいけませんって反応、、、ですよねー
しかし、旭山動物園を巡っている途中、友人から奇妙なLINEが入りました。
「JR北海道全線運転見合わせているみたいだけど大丈夫?」
は?なんだそれ、、、と思って運行情報をみたら特になにも書いてなかったので、まあ大丈夫だろうと考え、旭山動物園を満喫して旭川駅に向かいました。
そうしたら旭川駅で衝撃の事実が
「昨日の台風21号の影響により、線路内に倒木が多数あるため本日の特急の運転を取りやめにします。ローカル線の運転も見通しが立っていません。」
( ゚Д゚)ハァ?
まさにこんな状態でした。でも考えてみれば当たり前のことで、北海道はとてつもなく広く、その路線をJR北海道がたった半日で復旧など難しいのは明白でした。
運行の見通しが立たず、ローカルでも稚内にたどり着けそうもなかったので、泣く泣く稚内のホテルをキャンセルに、、、、
しかし神は見捨てなかった!
その10分後くらいに構内放送で
「次の列車は、普通列車”音威子府”行きですが、本日に限りまして”稚内”まで運転致します。お乗りになるお客様は急いでください。」
この放送を聞いた途端、ダッシュで電車に乗り込み、ホテルにキャンセルをキャンセルしてくださいと電話し事なきを得ました。普通列車ですと旭川駅から稚内駅まで6時間程かかりますが、行けるのであれば別に気にしません。なんとツイてるのだろうと思いました。そう、この日までは、、、
稚内駅についたら、真っ先にホテルに。ホテルはちょっといい「ANAクラウンプラザホテル稚内」に泊まりました。おそらく稚内駅周辺のホテルでは一番いいのではないかなと思います。
台風のアクシデントはありましたが、なんとか稚内につけて、これで予定通りに旅が進められると喜んでいました。安心しきってすぐ眠りにつきました。
5日目 旅の終わり
翌朝、ベッドで寝ていると異様に部屋が暑いことに気づき、エアコンの壁スイッチをみたところ反応なし。おかしいなと思いバスルームの明かりを点けようとしても点かなかった。「めずらしいなー。停電かー。」と呑気に思いつつ、スマフォをみると大量のメッセージの数が、、、中身を見るとみんなこの文章しか書いていなかった。
「地震大丈夫ですか?」
そう、これが後に「平成30年北海道胆振東部地震」と呼ばれる地震の事であった。
とりあえずダラダラしてても仕方がないので、情報を仕入れにホテルのフロントへ。エレベーターは非常電源で動いているらしく、労せず1Fまで降りることが出来ました。1Fに行くといい匂いが、、、どうやらガスと水道は止まっていなかったみたいなので、朝食は作ってくれた模様。せっかくなのでいただいていくことに。
ただこの時、停電はホテルだけだろうと楽観視していました。北海道全域が停電しているなど誰がこの時思っていただろう。自分もその一人だったからこそ楽観視していました。
ところがホテルを出て稚内駅まで行ったところ、稚内駅もその周辺の信号も全てついていなかった。ここで初めて北海道全域が停電しているという情報を仕入れ衝撃を受けたのである。
駅に確認したところ、電車の復旧見込みは全くないとのこと。物知りな人は宗谷本線で走ってる車両はディーゼルだから走らせられるだろと思う方もいるでしょうが、その途中の踏切や切り替えポイントは電気で動いているので、停電してしまうとそれらが動かせず、例えディーゼルであっても走らせられないのです。ちなみに高速バスも、信号が点かないので安全に運行できないという理由でストップしていました。電気がないと何もできないんですよ。
この時点で自分の旅は完全に終わりました。台風の後のまさかの地震は誰も予想がつかない事態でした。
だらだらしててもしょうがないので、周辺を散歩して戻ってきたら、観光バスは走らせるとの案内が。せっかくなので観光バスに乗って稚内観光をしてきました。バスガイドのお姉さんが18歳ということで衝撃を受けましたが、案内も見事にこなし、バスの中で綺麗な声で民謡を歌ってくれたりして大変良かったです。
一通り観光バスで稚内を巡り、戻ってきました。
今日の宿はどうしようかと探していたところ、「停電のためどこも受け入れることができない」という衝撃の回答を観光案内所の人からもらい、じゃあどこに行けばいいのかと尋ねたところ「避難所に行ってください」との回答が、、、
人生初の避難所生活が旅行先で経験するなんて想像もしなかったです。
避難所では朝と夜決まった時間にご飯が出るといった感じで、食事自体は可もなく不可もなくといった感じでした。
避難所には様々な人が来るので、環境そのものは決して良いとは言えませんでした(特に老人がネガティブな発言しかしない、不謹慎厨が湧く等)。
集会所には発電機を使って起こした電気を使いTVが観れたのですが、放送しているNHKは外部向けの情報が殆どで、被災地にいる人たちには9割方無意味な情報でした。さらに、外部向けのネガティブな情報を坦々と流し続けるので、あんなものを延々と見せられた日には頭がおかしくなりそうな感じでした(東日本大震災で被災者が参ってしまうという気持ちが身に染みてわかりました)。
災害時の情報を知る手段は、地元のラジオ局や、役所が仕入れてくる情報が、被災者にとって一番信憑性が高く、不快に感じないと思いました。TVは先に言った理由でロクなものではないですし、Twitterを始めとしたSNSも、自分で情報を取捨選別できなければ利用するのは難しいと感じました。
そんな避難所生活をしていると、精神的にまいってしまって、さすがにやってられんということで外に出たら、空には一面の星空が。停電だからこそ観られた星空で、あの時の星空は一生忘れることのない空になりました。
星空を撮ってた時に、大学生くらいの女の子が「星の撮り方を教えてください」と言ってきたので星景撮影をレクチャーしてあげました。写真を始めたばっかりと言っていたので、写真を撮ることを楽しんでくれてたらいいな、写真を今でも続けてくれてたらいいなと思います。
6日目 希望
どうすることもできないので、お昼くらいまで避難所にいました。その間、役所の方は昼夜問わず情報を仕入れたり、ご飯を用意してくれたりと本当に頭があがりませんでした。本当にありがとうございました。
ただ、さすがに避難所に居続けてるのもまいってしまうので、稚内駅のほうに向かいました。すると電気が点いているではないですか。一途の希望をもって観光案内所の人に聞いてみたら、民宿の受け入れはしてくれるとの事。
稚内空港から飛行機も出ていたので帰ることはできましたが、飛行機代が48000円かかるという事と、一部まで電気が通っているのでひょっとしたら明日には新千歳空港まで行けるかもしれない、という希望があり民宿に一泊泊まることにしました。ちなみに新千歳空港から羽田行きに乗ると2万円台からあったりと、宿泊費・高速バスで移動する分を差し引いても安かったりします。
この日の宿は「旅館山一」。急とはいえ受け入れてくれて感謝してます。夕飯のお買い物中に電話に出ていただき、ご迷惑おかけしました笑
7日目 脱出
昨日の読みは大当たりしました。
電力も復旧し、札幌駅まで高速バスが出るとの事。早速チケットを購入し札幌まで出ることに。
ようやく脱出することができます。
稚内から札幌までは、高速バスで6時間ほどです。ただ座席も3列でゆったりしていて、車窓もすごい良かったので全く苦ではなかったです。むしろ旅はもう終わりかという哀愁漂う気持ちがすごい強かったです。
札幌駅から新千歳空港までは電車が出ているのを知っていたので、すぐに新千歳空港に向かいました。
無事に東京に戻ることができ、北海道旅行はこれにて終了です。
災害にあって思った事
とあるアーティストがこう言っていました「たかが電気のために命を危険に晒さないといけないのでしょうか」と(ちなみに自分はこのアーティストの曲は好きです。政治的な事に絡んでくると嫌いなだけで、、、)。
自分は停電した街の中にいて感じました。人間の生活は電気がある生活が当たり前になっていて、電気がないと何もできないのです。ガスと水道があればなんとかなると呑気な事を言っている人がいますが、ボイラーを動かすにも電気が必要です。もちろん石油を使う暖房器具を動かすのにも電気が必要です。時期的にまだ暖かかったから良かったものの、これが冬だったらどうなっていたのかを想像するとゾッとします。
外部との通信手段を取るときも、携帯の基地局は予備電源がある間しか使えないですし、何より自分の携帯の電池が切れてしまってはそれこそ何もできないわけです。幸い避難所では発電機を使って充電させてくれたので、携帯が電池切れで使えないといった事はなかったのですが、基地局が次第に電池切れで最後は全く通信ができない状態になってしまいました。
停電時に周辺を散歩したのですが、漁港や水産加工場も全て閉鎖されていました。電気がなければ冷蔵庫も動かない、水産加工も満足にできない。さらには隣接している商店も停電のため閉鎖。産業そのものが死んでしまっている状態でした。
また面白い光景がありました。宗谷丘陵には57機の風車があり、稚内の7割の電力が賄えるそうです。しかし大停電により風車は全てストップ。自分はこの時初めて知ったのですが、風車を再起動する時、ある程度羽が回転するまでは電力を使って回すらしいです。何ともおマヌケな話ですね。隣にメガソーラーもあったので、それを使って風車を回すことができれば解決するのにと思いましたが、中々うまくいかないものなのですね。この状況を見て、自然エネルギーはまだまだ使い物にならないと感じた次第です。
電気は生活していくためには必要不可欠なものです。これが無くなるだけで何もできなくなってしまうのです。1日停電くらいならまだ何とかなるのですが、これが複数日にまたがってしまうと、生活が出来ない状態になります。今回の旅でそれを痛感しました。
自分自身が満足な環境にいるからこそ電気が必要ないといった楽観的なセリフが言えてしまうのであって、今回の経験をした後にそんなセリフは口が裂けても言えませんね。電気がないと自分自身が何もできなかったのですから。
さいごに
波乱万丈な旅でしたが、一生に一度経験できるかできないかの貴重な経験ができて、今ではいい思い出です。また災害に対する考え方が変わったのも自分の中では良かったなと感じました。
災害はいつ起こるかわかりませんので、大容量のモバイルバッテリーや発電機、水や食料などの備蓄品は持っていても損はないです。みなさんもこれを期に考え直してはいかがでしょうか。
旅行に行かれる時は、20000mAh以上の大容量のモバイルバッテリーを持っていくことをお勧めします(自分はAnker Astro E5 16000mAhを持って行ったんですが、満充電2回・半充電1回くらいしか出来なかったので、心もとない感じでした)。
ただ、今回こんなことがあったので北海道一週旅行はもう一度リベンジしたいですね。もう一度決算賞与でないですかね|д゚)チラッ
最後に、稚内の皆さんには大変お世話になりました。役所の皆さんの働きっぷりには本当に頭が上がらなかったです。これからも定期的に遊びに行ってお金を落としていきますのでよろしくお願いします。
これにて旅の備忘録はおしまいです。最後まで長文にお付き合いいただきありがとうございました!
みなさんはまともな旅が出来るよう祈っています!!